広島はみっちゃんだらけ
広島市内で「今日、お昼にみっちゃんでお好み焼食べてきた」と言われても、どこでお昼を食べたのかいまいち分からない。それほどに広島市内には「みっちゃん」が溢れかえっている。広島では、みんな漠然と「みっちゃん」と呼んでいるが、どの「みっちゃん」であるかを意識している人は少ない。
私が子供の頃、母親から「市内には、みっちゃんって美味しいお好み焼屋さんがあるからいつか連れてってあげる」と約束をしてもらった。母親はそのことをコロッと忘れてしまい、結局連れて行ってもらえてない。そうして時は経ち、私も大きくなり、自分で食べに行ってみようと詳しい友達に聞いてみたら、市内にはたくさんのみっちゃんがあって困った記憶がある。そこで母親に尋ねてみたら「最近は、そんなに沢山みっちゃんがあるの?」と返ってきた。彼女はみっちゃんを1店しか知らなかったそうだ。
彼女が連れてってあげると言ってたのは「新天地みっちゃん」だった。戦後間もない頃、井畝井三男さんが中央通り付近で始めたお好み焼屋の「美笠屋」は、しばらくして「みっちゃん」と名を変え、新天地広場へ移ったあとも代表的な存在だった。最初は屋台を一家で経営していたそうだが、店舗拡大を繰り返すなか子供たちはそれぞれのお店を立ち上げ、井三男さんが亡くなったあとは、ずっと新天地店を手伝っていた次女のます子さんが暖簾を受け継ぎ現在の地で営業を続けている。私の母親は昭和30〜40年代に市内で少女時代をおくっていたので「みっちゃん」と言えば新天地のあのお店だと刷り込みされていたとしても不思議ではない。
みっちゃんを名乗るお店
その子供たちがみっちゃんを名乗っているので、広島には多くのみっちゃんが存在することになった。一番店舗数が多く有名なのは「みっちゃん総本店」で、長男の満夫さんが経営されている。そもそも当初の「美笠屋」から屋号を変えたのは、当時店の中心的存在となっていた満夫さんの名をとったもの。広島お好み焼界のレジェンドで、令和3年3月3日に一番弟子が「井畝満夫」の名跡を継いだときは広島を騒つかせたほど。
他には、次男の雅夫さんが経営する「みっちゃん いせや」長女の昭枝さんが経営する「みっちゃん太田屋」がある。「みっちゃん横川店」は井畝一族以外でみっちゃんブランドを名乗ることを許された稀有な店だ。このように広島はみっちゃんで溢れかえり、なんと狭い中区だけで9店もひしいめている。
そんなみっちゃんの歴史の中、そこでお好み焼の焼き方を学び独立したお店も沢山あるが、一族以外は原則「みっちゃん」を名乗ることはないので店名を見ただけでは分からない。一部のファンたちは、それらのお好み焼屋を総称して「みっちゃん系」と呼んでいる。
このようにみっちゃんには長い歴史がある。しかし、そんなことを広島市民の大多数は知る由もない。そうして今日も「お昼にみっちゃん行ってきた」との会話が交わされている。普通に生活するぶんには、全く必要のない知識なのである。